燈台草の根

大学生による日記

 文章を生むことの愉快と横柄さ

 指定校推薦で大学が決まっていた私は、お正月休みをだらだらと引きずるような、卒業式までの長い自由登校期間をもて余していました。
 1日1日がぎゅっと縮んですぐに1週間が経ちます。あっという間に2月になると、さすがに、この無為な毎日に危機感を覚えました。かといってアルバイトはしたくないし、どうしたものかと考えていたのですが、クラウドソーシング、という方法を見つけました。 私でも、キュレーションサイトの記事作成なら出来ると確信しました。率直に言って、それらはお粗末なものばかりだと思っていたからです。しかし、これがやってみると中々難しい。やたらなことは書けないし、引用するサイトの信憑性も確認しなければいけないし、何より、1文字0.5円以下、という記事が大多数で、書けども書けども大したお金にはならない。それでも数記事書いたのですが、空しくなってしまいました。
 また、気持ちの問題もあります。「あどけなさを感じるメイクや髪型」というテーマで記事を作成したときのこと。大人の女性がわざわざそんなことしなくても、と思いましたが、4000文字以上という条件の中では書きやすそうだったので選びました。やっぱりなんだかもやもやした気持ちが残り、これで1500円か…とがっくりきました。まあとにかく時間はあるし、お金は無いので、書くのですが、サイトが希望する記事のまとめ方と、自分の考えとが全く異なると、嫌いな食べ物を鼻をつまんで呑み込むような、そんな心地がしました。 
 ただ、それによって、自分が様々なものに対して無意識にせよ、一応何かしらの意見や考えを持っている、と気づけました。私のようなぼんやりした人間は、機会が無いと自分の考えを他人と比べ、客観視することが無いので、自分の考えをまとめる練習になりました。
 また、「文章でお金を稼ぐ」ことは、作家やコピーライターなどの一部の人達だけでないと気付けたのは、新鮮な喜びでした。普通の学生やフリーター、主婦が、文章を書いて報酬を受け取る、何だか不思議な感じがしました。
 大学生になった今でも、テーマが軽くて1000文字程度の記事を月に12本作成しています。もう、ほとんど作業みたいなものですが、1ヶ月の昼食代位にはなるのでぽつぽつとしています。
 将来への展望もなく、いつまでも小さい子どものようなわがままと傲慢で不満を叫んでいる自分が情けなく、嫌いです。しかし、どんなに拙く、極々少額でも、自分の書いた文章を評価してもらえるということは素直に嬉しくて、ほんのちょっぴり働く自分が想像出来たような気がしました。
 文章を書くということは、程度の違いこそはあれ、自分を表現することだ、なんて傲慢な、と思います。また、控えめながらも主張の強い、扱いにくく、退屈になりがちなものでもあります。しかし、その主張を魅力あるものにしたいですし、その作業はとてもおもしろい。

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アントニオ・タブッキの『島とクジラと女をめぐる断片』で、最近読んでいます。タブッキの仕掛ける魅惑的な断片が繋ぎ合うようなないような不思議な感覚が好きです。


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